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大崎市の魅力

大崎市ってどこ?

地域の紹介

地図をクリックすると各地域の紹介に進みます。

鳴子温泉 岩出山 古川 三本木 松山 鹿島台 田尻

鳴子温泉地域

鳴子温泉地域は、古くから湯治場として親しまれてきました。広範な地域で湧く湯量は豊富で、施設のそれぞれが独自の源泉を持ち、また泉質が多岐にわたることでも有名です。
通りを挟んだ別の旅館でお湯の質が異なることも珍しくなく、バラエティーに富んだ「湯めぐり」ができることは鳴子の最大の特徴です。
「なるこ」(または「なるご」)の地名は、その由来に諸説あり、潟山が噴火し、轟音とともに湯が湧き出たことから「鳴郷の湯」と呼ばれるようになったとも言われています。
 
この噴火口が青緑色の湖水が美しいカルデラ湖「潟沼」となりました。ここでは、景観を楽しみながらの散策や、SUP(スタンドアップパドルボード)の体験教室が行われています。スポーツではこの他、鬼首にスキー、ハンググライダーの設備があります。
 
毎年、行楽客のピークを迎えるのが紅葉のシーズンです。鳴子峡、潟沼、鳴子ダム周辺など、それぞれが趣の異なる風景を見せてくれます。
 
伝統工芸では、鳴子こけし、鳴子漆器が有名です。お土産として買い求めるだけではなく、自分のデザインで絵付けを体験することができます。旅の思い出とともにオリジナルのこけしを持ち帰るのはいかがでしょうか。

岩出山地域

岩出山地域には、かつて「岩出山城」があり、仙台城へ移る前の伊達政宗の居城でした。
このお城の建物は残っていませんが、その頃設置された武士の学問所(仙台藩の藩校)である「有備館」が今も残っています。
 
城下町の趣が残る町並みは、「感覚ミュージアム」、「竹工芸館」、「旧有備館及び庭園」などに立ち寄りながらの散策コースとしておすすめです。
当地では竹細工が盛んで、他の土地から来たお嫁さんも必ず竹かごやざるの作り方を習得させられるのが習わしでした。「竹工芸館」では実演の見学、製品の購入ができる他、竹細工づくりの体験も可能です。

散策コースの途中では街中を流れる「内川」の景色に目をとめることになります。岩出山城の外堀の役目を果たすために作った人工の川ですが、農業用水路として大きな役割も担ってきました。大崎地域が世界農業遺産の認定を受けた際、重要な要件のひとつになっています。

国道47号線、JR池月駅そばの「あ・ら・伊達な道の駅」は全国有数の集客を誇る道の駅として有名です。
常に新鮮な農産物を供給する産直売り場や、レストラン、テナント、いくつもの出店ブースにより、いつも多くの来客を迎えています。
 
岩出山城は岩出山伊達家の居城として明治維新まで続きました。その4代目、伊達村泰が京都に行ったときに供された饅頭が大変美味しかったため、職人を連れ帰り、岩出山で饅頭づくりを始めさせました。一子相伝、門外不出のレシピで作られるその饅頭は評判となり、「酒まんじう」の名で現在も岩出山の名物となっています。

古川地域

古川地域の中央には、かつて江合川が流れていましたが、川は何度も氾濫し、川筋を変えました。以前の川が流れていたところに集落ができ、「古い川の場所」を意味する「古川」が地名となったとされています。本流は変わったものの、以前の川筋に水路が残り、「緒絶川(おだえがわ)」と呼ばれています。川としての魂(緒)を失った(絶えた)川だから「緒絶川」となった説の他、白玉姫という姫が悲恋を嘆いて川に身を投げたという伝説に基づくという説があります。
 
現在、緒絶川に沿って15基の藤棚が設置され、観光スポットとなっています。
 
大正デモクラシーの旗手である吉野作造がこの古川の生まれです。彼の功績については「吉野作造記念館」で触れることができます。
吉野作造生家跡は市街地中心にあり、モニュメントが建てられています。
 
米どころ大崎市の中心、古川は、お寿司屋さん御用達のお米「ササニシキ」の発祥の地でもあります。古川農業試験場では「ササニシキ」と「ひとめぼれ」を交配し、ササニシキの食味とひとめぼれの育てやすさを兼ね備えた「東北194号」を育成しました。「ささ結」のブランドで2015年から作付け、出荷されています。
 
東北新幹線、東北本線、陸羽東線の駅である古川駅は鉄道だけでなく、路線バスのターミナルでもあり、地域交通の要衝となっています。

三本木地域

三本木地域では、古くから亜炭が採掘され、特に戦時中は貴重な燃料として都市部へ供給されました。
国道4号線沿いの「道の駅三本木やまなみ」に併設されている「三本木亜炭記念館」では、亜炭生産最盛期の資料を見ることができます。
 
今も地中に眠る亜炭の地層を通って温泉が湧いています。
植物由来の成分が溶け込んだ柔らかな湯が自慢の日帰り温泉が2件あり、
「三峰荘」では、わずかに炭酸を含む淡い黄色のお湯を、
また「花おりの湯」では弱アルカリ性のお湯を楽しむことができます。
 
6ヘクタールの広大な「ひまわりの丘」には、春は菜の花、夏には42万本ものひまわりが咲き、多くの観光客でにぎわいます。ひまわりの種を利用したお菓子、ひまわり油が特産です。
 
この地域には、里芋の栽培に適した土壌があり、実がしっかり詰まっていながらも柔らかく、旨味の濃い里芋ができます。ここで作られる「伊場野(いばの)いも」は生産量が少なく、貴重な名産品となっています。

松山地域

松山地域では良質な地下水が豊富に湧く場所があり、日本酒を製造する「一ノ蔵」ではそれを仕込み水に使った品質の高い製品を作り続けています。
また同地域に刀匠・法華三郎の日本刀鍛錬所があり、刀鍛冶の高い技術を現代に継承していますが、法華三郎の手による名刀「大和伝」は一ノ蔵のお酒の名前にもなっています。
松山のおいしい水は「仙台味噌醤油」わさび沢工場でも活用されています。
 
昭和歌謡の第一人者、フランク永井は松山地域の出身です。市街地中心にある「松山ふるさと歴史館」に、彼の活躍を記念する「フランク永井展示室」が設けられています。
ここに隣接する「松山酒ミュージアム」では、古くからの酒造りを学べる資料が展示されています。
 
春には「羽黒山公園」(※古川地域に同じ地名がありますが、別の場所です)に桜が咲き、秋には「御本丸公園」のコスモス園に23種、約20万本の色とりどりのコスモスが咲き、多くの観光客を集めています。

鹿島台地域

鹿島台地域と隣接する松島町の一帯は、かつて、大雨のたび大きな沼となるほどの水害地帯でした。
江戸時代に建設された「元禄隧道」も老朽化し、干拓事業が計画されたものの、費用が膨大なものだったため、なかなか工事を進めることができませんでした。
このとき工事を実現するため尽力したのが、「わらじ村長」こと鎌田三之助でした。地域の尊敬を集め語り継がれる彼の功績は「鎌田記念ホール」に資料展示されています。
 
鎌田三之助は地域振興のため「鹿島台互市(かしまだいたがいち)」を興した人でもあります。
鹿島台互市は現在も年に2回、4月と11月にそれぞれ3日間開催されます。JR鹿島台駅の前から1キロにわたり約250店舗が出店する、東北最大級の市となっています。
 
もうひとつ、有名なのがトマトです。特に「デリシャストマト」のブランドで知られる「玉光デリシャス」という品種は味が濃く、酸味甘みのバランスも良いトマトです。しかし、栽培が難しく、生産者が結成したトマト部会の年数をかけた研究の末、安定供給ができるようになったのです。現在、「デリシャスファーム」、「マルセンファーム」の2法人を含む6軒だけで生産されています。
 
また、小さめですが甘みを凝縮したトマト、「トマクイーン(品種名はフルティカ)」も大変人気があります。
高品質のトマトと、ジュースなどの加工品は鹿島台地域の特産です。

田尻地域

田尻地域から縄文時代晩期の「遮光器土偶」が出土し、国の重要文化財に指定されました。
現在は東京国際博物館が所有していますが、田尻地区公民館と「公園の中の宿ロマン館」に精密なレプリカが展示されています。
また、明治初期の廃寺となった小松寺の本尊として伝来し、国の重要文化財に指定された「木造千手観音坐像」を田尻総合支所内に展示しております。
 
「加護坊山」の桜は「一目千本桜」と呼ばれ、春は大勢の花見客で賑わいます。桜の木は実際には2,000本もあり、満開の景色は大変見事です。
加護坊山の山頂には人工の照明が届かないため、天体観測に最適なロケーションでもあります。
 
「蕪栗沼(かぶくりぬま)」と周辺水田はラムサール条約登録湿地に指定されており、渡り鳥の越冬地となります。
特にマガンの数は日本に飛来するうちの9割以上に及び、最盛期には10万羽ものマガンがここに集まります。
訪れる観察者に、朝の飛び立ち、日没時のねぐら入りを壮大なスケールで見せてくれます。
 
渡り鳥が休む場所を分散させるため、冬も田んぼに水を張る「ふゆみずたんぼ」の取り組みが行われています。
農薬を使わず、他の小動物も活発に活動することで雑草の発芽を抑える効果が期待されます。
この取り組みは環境に負荷をかけず生物多様性に配慮した農法であることが評価されているだけでなく、「ふゆみずたんぼ米」は、安全安心を求める消費者から支持を集めています。
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